眼・耳・肢体
初診日・特殊事例
審査請求
社会的治癒(事故による脳出血後遺症)
事故による脳出血後に症状が回復した後の再悪化についての社会的治癒の事例です。訴訟を経て認定が得られた事案です。
事例
男性・42歳(申請時点)
申請:平成29年
結果:却下→(審査請求)棄却→(再審査請求)棄却→(地裁)処分変更により障害厚生年金2級で決定
申請者は昭和50年生まれで、昭和55年(5歳)の時に交通事故による受傷で脳出血。その後昭和61年頃(小学校高学年)まで約6年リハビリを受け続け、通常の学生としての生活が営める程度にまで回復する。
しかし、平成11年3月に大学卒業し、その後すぐ新卒で入社した会社(つまり厚生年金加入)で勤務し始めたあたりから再悪化を自覚し始める。そして平成11年8月に障害者手帳を取得。
その後も症状は悪化し続け、申請時点では杖を用いても歩行が困難な程度にまで至っていた。
当事務所による解決 裁定請求(平成29年)
初めてお会いした時から最終結論が出るまで4年程要しましたが、初面談の時にはそこまで長いお付き合いになるとは思ってもみませんでした。
はじめお会いした際には、既に相当歩くのが大変そうな状況でありました。初診からの経緯を聞くと、子供の頃に遭った事故の後遺症であるということでした。
しかし更に資料を色々と拝見していると、子供の頃の事故であるのに、障害者手帳は20代前半に取得しておりその時の等級は5級であるという事が気になりました。
そのあたりの事情を尋ねますと、リハビリ終了後は小中高大と普通に生活できていたということでした。
この時点での私の考えは以下のようなことでした。
・事故時が初診日だとすれば、20歳前障害による障害基礎年金となる。
・しかし、もし依頼者さんの言う通りの事情だとすれば、社会的治癒を援用して、初診日が就職後の平成11年時点となったならば、障害厚生年金の対象となるので有利。
・でも、一度脳出血による後遺症をして、その後リハビリをして普通の生活に戻り、その後10数年してから再度悪化するというようなことは医学的に説明がつく話なんだろうか?
実は当該依頼者さんは紆余曲折経て、30歳過ぎ頃から理学療法士となっておられ、ご自身の身体のことについてある程度の医学的理解はされておられ、思うに就職後の環境の変化、例えば革靴を履くようになったこと等が挙げられると思うという説明は受けました。
色々と話をお聞きしていると、実際そのような経過をたどったんだろうなという心証を持ちましたので、とりあえずの方針としては、
1,まずは社会的治癒ということで、初診日は就職後の平成11年の障害者手帳取得時ということで障害厚生年金として申請をしましょうと。
2,それが認められないようだったら、初診日は5歳の時ということで障害基礎年金で出し直しましょう。
ということを伝え、その方針で受任しました。
社会的治癒を主張しようにも、やはりそれなりの資料は提出することは必須だと思われます。ただ単に「いつからいつまでは普通に生活してました」というだけでは苦しい場合が多いだろうと思います。
本件では、要するに10代の頃の日常が普通のものだったということの証拠として、小中高の通信簿を提出しました。そこには体育の授業は普通の成績だという評価がありました。
ただ、本件の場合、子供の頃の受診記録は、昭和の話ですからもうすでに存在しませんし、障害者手帳取得後ももう症状が軽快する見込みがない状況なので、これといって受診の必要性がないため申請時点ではどこにも決まった通院先もなくカルテ類はどこにもありません。唯一あるのは障害者手帳取得時の診断書を市から入手してその日付を初診日としましたが、医療記録がないことも長引く原因となったと思います。
そして、請求に及びましたが、残念ながら平成11年を初診とは認められないとして却下となりました。
※なお、その後平成11年を初診とする争いと並行して、昭和55年が初診日であるとする障害基礎年金の申請も行いましたところ、そちらの方はすんなりと2級で認定がなされました。
当事務所による解決 審査請求(平成30年)
そして、審査請求を行いましたが、棄却となりました。
棄却の理由としてスッキリとしたものは書かれていませんでしたが、一つは、完治していたわけではないじゃないかという趣旨が書かれていました。
この点、元々依頼者さんも完治していたとまでは言っていませんでしたし、そういう主張ではないのですが、しかしながら、社会的治癒とは医学的に根治しているということまでは必要ではなく、一般人の素朴な感覚として通常の日常生活を送れていた程度かどうかという事が問われるはずなので、これは的外れかと思いました。
他には、要するに、一度治ったものが再度悪化するというようなことはあり得ないという趣旨のことがありました。この点は、私としてもこの時点では、「うーん、それは実際どうなんだろうなぁ?」と思っていました。
当事務所による解決 再審査請求(平成31年)
そこで、私もまずは医学書の類を調べてみましたが、一度リハビリを経て良くなった症状が再悪化に転じることはあり得るという趣旨の本を見つけましたので、一応それは添付して再審査請求に臨みました。
このことは、しかし実際に詳しい医療関係者から聞いてみたいものだなと思いました。しかし依頼者さんには定期的に通院している病院がないため、聞けそうな方もおらず困りました。
色々と依頼者さんとお話をする中で、実は子供の頃のリハビリの担当だった理学療法士の先生と今でもフェイスブックやメールなどで連絡を取れる関係にはある、ということをお聞きしました。しかし、この件でも協力を得たいと連絡をしているが、今では全国を講演会で飛び回るほどに高名な先生なので、多忙でありつかまらないと。
そして、つかまらないまま再審査請求の期限が近づいてきましたので、一旦は再審査請求を出しますがその理学療法士の先生がつかまり次第、当時の話を聞いて意見書を提出しましょうという話をしました。実はこの理学療法士の先生が最終的にはキーマンになったと思います。
また、代わりに高校時代から現在まで付き合いのあるご友人に協力いただきました。高校及び大学時代の足の状況はよく見ると多少足を引きずるような動きはあったような気はするが、普通の範囲内であったということ等を証言いただきまして意見書としてまとめて提出しました。
結局、再審査請求の結果が出るまで1年ほどかかりましたが、しかしその間上記の理学療法士の先生はつかまらないままでして、結局意見書が取れないまま棄却となりました。
一応棄却の理由として挙がっていたのは、やはり完治していないというところが、ダメだという事のようです。
なお、それでも社会保険審査会の参与は全員が請求を認めるべきとの意見を出されていたというのを審査会が押し切って棄却にしたようであり、ギリギリのところではあるようでした。
しかし、審査会の内部の様子まではわかりませんが、参与全員の揃った意見が容れられないのであれば、参与の皆さんもやる気が出ないだろうなと思います。
私が参与ならば、「そしたら初めからワシの意見聞くなや!」となると思います。
当事務所による解決 訴訟提起(令和2年)
再審査請求の裁決書が届いたのが令和元年12月でした。棄却後、一応訴訟の提起期限が裁決書が届いてから半年なので令和2年6月までなら起こすことが出来るけれどもどうしますか、とお尋ねしました。もちろん、この段階で「いやぁ、無念だけど訴訟まではしなくても」となる方も多くいらっしゃるのですが、この依頼者さんの場合は実は法学部卒業ということもあって、訴訟自体に関心もおありのようでした。ですので、可能性があるならやってみたいと。
しかしながら、訴訟に進むにしても、やはりその理学療法士の先生の協力があるのとないのとでは違ってくるだろうなと思いました。なので、依頼者さんにはその理学療法士の先生に連絡を取ってもらっていたところ、折しも世間ではコロナ禍が始まり、緊急事態宣言が出されいろんなものが自粛となっていました。
そのタイミングが実に怪我の功名で、多忙だった理学療法士の先生も講演会が軒並み中止となってお話をする時間を取ってくださることになりました。
そして、当職と弁護士さんと依頼者さんを交えて今後の方針を確認しつつ、私も補佐人として訴訟に加わることとなりました。
提訴期限の関係で、訴状には理学療法士の先生のお話は間に合いませんでしたが、提訴直後の令和2年6月に弁護士さん依頼者さん交えて4者でのお話を聞くことが出来ました。
私が聞きたかったのは、
1,医学的見地からリハビリで一旦よくなった症状が再度悪化するというようなことはあり得るのかという点。
2,あり得る場合、本件では再悪化した理由は何なのかという点。
3,実際依頼者さんはリハビリの全プログラム終了時にはどういう状態だったのかという点。
この点、理学療法士の先生からは実に理想的なお話が聞けました。
1については、理学療法士からすればこういう事例は普通に起こり得るという事は常識であると。例えば、3年~10年程度リハビリをして症状が安定的になっていた人が、インフルエンザなどである程度以上の期間寝込んでしまったような場合にバランスを崩して再度悪化に転じるというようなことはあるということを動画を見せていただきながら解説してくださいました。
2については、本件の場合やはり学生という自由な立場から社会人になったという環境の変化は大きかったと思われるという点。革靴を履くという点もそうだし、依頼者さんからこの時そういえば就職してすぐの頃は毎日覚えなければいけないことも多くて毎日数時間程度の睡眠時間だったという話もありましたので、そのような点です。わりかし、ブラックな就業環境についてはなされましたので、そういう状況下では悪化に転じることは十分あり得る話であると。
3については、こちらは非常に人間味あふれるエピソードで、理学療法士の先生は依頼者さんは当時子供だったのに事故に遭い、何とかハンデキャップのない状況で社会に送り出してあげたいという気持ちが強かったという事、なので当時は理学療法士と患者という垣根を越えて、例えばリハビリ時間外にカブトムシを一緒に取りに行ったりしたこともあったと。そんな関係が6年ほど続いたころには、後遺症をほとんど感じさせない程度にまで症状が改善していたということをお話してくださいました。
当事務所による解決 国側からの反論~訴訟の終結(令和3年)
国側からの反論は、初見のもので、要するに
脳出血はそれに対する継続的な医学的管理が必要であるという観点から、治っていたという昭和61年から平成11年までの間も、実は医学的管理が必要だったのにそれを怠っているうちに症状が悪化したに過ぎないので、社会的治癒とはならないというものでした。
しかし、被告側が援用している書籍は脳出血といっても、糖尿病や高血圧などの基礎疾患がある場合の狭義の脳出血に関するもので、事故による脳出血のケースと区別がついていないのではないかという風には思いました。
これに対しては、
1,糖尿病などの基礎疾患がある場合の脳出血は、その基礎疾患自体のコントロールという意味もあって医学的管理が必要という意味であって、子供が事故により脳出血となった本件では妥当しない。
2,その上で本件で医学的管理とは何なのか?生活指導や単に機能維持のリハビリを指すのか?仮にそのような単なる維持的な医療が必要だったのに行っていなかったのだとしても、「予防的医療が継続していても社会的治癒の成立を妨げない」ということで実務上は運用されている。
3,また、理学療法士の先生も当時もう症状は安定的になったのでリハビリは終了であるとしていた。それでも医学的管理が必要というならば、一生リハビリが必要という話になるのではないか。
等の主張と上記理学療法士の先生の陳述書も提示しました。
その後しばらくしてから、国側はこちらの主張を全面的に認めるということで処分変更で障害厚生年金の支給が認められ、訴訟は判決を得ずして実質こちらの勝訴ということで終了しました。
社労士に依頼した方がいいアドバイスあるかもですよ
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当事務所では今回社会的治癒という捻ったやり方での申請を提案したのですが、恐らく仮に本件依頼者さんが年金事務所やあるいはあまり詳しくない社労士のところへ相談に行ったならば
「あー、この場合はですね、子供の時の事故が原因ということなんだったら、20歳前障害による障害基礎年金での申請ということになりますね。それ以外にはありません。」
と十中八九なっていただろうなと思われます。
行政窓口の説明がそういうものになるというのは、原理原則論通りに皆に説明する必要があるという公平性の観点とか(それで得られる利益は別として)申請者に無理をさせないという配慮などからすればやむを得ないところはあると思います。
ですけれども、本件のように社労士に依頼すれば最終的にはいいことがある場合もあります。当事務所では多角的な観点からお話をさせていただいております。
社会的治癒に必要なエビデンス
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社会的治癒というものについてある程度調べたという相談者さんの中にも
「○○から○○の期間は治ってました」というだけで簡単に認められるんだろう、くらいの認識の方は結構いらっしゃるんですが、社会的治癒とは初診日という障害年金申請において最重要な事柄を本当に初発のところから変更しようという話ですから、そう簡単ではありません。
やはり出来るだけしっかりしたエビデンスが必要です。
本件で言いますと、最初に小中高の通信簿を提出しました。また、再審査請求の際に友人の証言を出しました。それにより当時の状況を推し量れるからです。
結局、最終的に当時リハビリを担当していた理学療法士の先生の証言を得たわけですが、それは強力な要素となったとは思いますが、そこまでレアなエビデンスがなければだめだったかというとそれはわかりません。
個別のお話でどういった資料が必要なのかというのも様々なケースがあり得ると思いますので、当事務所ではじっくり依頼者さんのお話を聞きつつ方針を決めております。